サレント半島はイタリア建国神話の舞台!三千年を超える豊かな歴史が息づく大地!

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サレント地方は、ヨーロッパ文明のゆりかご=古代ギリシャ文明の影響を直接受けるという地理的に重要な位置にありました。そのおかげで有史以来3千年間にものぼる豊かな歴史がサレント半島には息づいているのです。オートラントやガッリーポリはじめ、古代ギリシャから海を渡ってきた開拓民たちによって築かれた街がサレントには数多くあります。それよりさらに遡りアフリカで誕生した人類がヨーロッパへ広がっていく際に、サレントの地を通りヨーロッパ大陸へと北上していった足跡も確認されています。

イタリアの長い繁栄の礎となった古代ローマもまた古代ギリシャと深いつながりがありました。そのローマとギリシャの橋渡しをつとめたのが、まさにこのサレント半島だったのです。ローマ建国神話の主役ともいえるエネアがトロイ戦争に敗れギリシャ脱出後、イタリア半島で最初に上陸したのが、アドリア海に面した天然の美しい入江ポルト・バディスコ(Porto Badisco)であったと言い伝えられています。

サレント地方の都レッチェにも3千年の歴史が息づいています。ときに千年以上もの隔たりがある各時代の建造物や遺跡どうしが隣り合い、折り重なるように同居しているさまは、レッチェ旧市街の大きな魅力といえるでしょう。旧市街の中心サントロンツォ広場だけでも、古代ローマ時代の円形闘技場、アッピア街道の起点を示す石柱(後世ブリンディシから贈られたもの)、中世バロック時代の議事堂セディーレなど、ざっと2千年の歴史が混在しています。

古代ギリシャ人が建てた美しい港町オートラントもまたしかり。近世16〜17世紀にかけてオスマントルコとの戦いの中で増築された堅牢な城壁で囲まれたオートラント旧市街には、11世紀にサレント地方を治めたバイキングの末裔ノルマン人の手によって建てられた大聖堂があります。大聖堂の床一面には、生命の樹とよばれる巨大なモザイク画が描かれており、紀元千年までの人類の歩みや生活風習、北欧神話はじめ世界の神話などがこと細かく表されています。

これらサレントの史跡や街々をめぐってみれば、サレント地方が歴史と文化の十字路にあったことがよく分かるでしょう。