① オリーブオイル地下搾油所跡(frantoio ipogeo)

specchia frantoio

 サレント半島の他のエリアとおなじくスペッキア村の一帯も、悠久の昔からオリーブオイルの生産がとても盛んな土地     でした。まだガス灯すら普及する前の18世紀、ロンドンの街路にオイルランプの明かりが灯っていた時代には、スペッ キア産のオリーブオイルがイオニア海側のガッリーポリ港から英国へと輸出され、ロンドンをはじめイギリスの街の夜を明るく照らしていたそうです。どれだけ需要があったかといいますと、当時は毎日30隻以上のオリーブオイル運搬船がガッリーポリからイギリスに向けて出港していたほどだそうです。

質、量ともにイタリア随一のオリーブオイルの名産地サレント地方のなかでも最大の規模を誇るスペッキアの地下オリーブオイル搾油所跡(frantoio ipogeo)では、馬に牽かせていた巨大な石臼など、かつての伝統的な製法による搾油の様子を間近に見学することができます。

 

② リソーロ宮(Palazzo Risolo)

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村の中心にあるポポロ広場(Piazza del Popolo)に面したひと際大きなお屋敷は“リソーロ宮”といい、スペッキアのシンボルというべき歴史的建造物です。もともとは15世紀に軍事要塞として建てられたお城ですが、時代とともに所有者を変えながら数世紀かけて増改築がくり返され、18世紀までに徐々に貴族の邸宅として現在の姿になりました。

現在は村の所有で内部の見学も可能となっています。2階のバルコニーからかつての貴族たちのようにポポロ広場を見下ろした眺めも雰囲気たっぷりですが、スペッキア村をとり囲むオリーブの大地をひと際高いリソーロ宮のバルコニーから見晴らした絶景もまた、しばしボーッと見とれてしまうほどです。

③ スペッキア母教会(Chiesa Madre di Specchia)

Specchia Chiesa Madre

ポポロ広場をはさんだリソーロ宮の向かい側には、背の高い鐘楼(campanile)と、建物全体に使われている美しいレッチェストーンが印象的な教会が建っています。プレゼンタツィオーネ・デッラ・ベアータ・ヴェルジネ・マリア教会というなんとも長〜い正式名称をもつこの教会は通称“キエーサ・マードレ(la chiesa madre = 母教会)”といい、これもリソーロ宮とおなじ15世紀に建立されました。
地元サレント産出のレッチェストーン(pietra leccese)の乳白色が独特の温かみを演出しているバロックスタイルの教会で、正面ファサードには村の守護聖人である聖ニコラ(San Nicola、サンタクロースのモデルになったともいわれる人物として有名ですね)の彫像が飾られ、その両脇の壁龕には十二使徒の聖ペテロ(San Pietro)と聖パウロ(San Paolo)の像が立っています。
鐘楼はもともと1568年に建てられたオリジナルが400年以上スペッキアを見守っていましたが、経年劣化し倒壊の危険が高まった1945年、ついに現在のものに建て直されました。レッチェストーンの美しさが際立っています。

 

④ 黒衣フランチェスコ会修道院および教会(Chiesa e Convento dei Francescani Neri)

specchia convento dei francescani neri

15世紀前半にゴシック様式で建てられた現存する修道院の建物は、街の外周をとり囲む城壁沿いの見晴らしのよい場所に立っています。13世紀初にアッシジの聖フランチェスコが創設したフランチェスコ修道会は清貧をモットーとしましたが、修道士たちが静かに質素な祈りの日々を暮らした部屋などを見学して回ることができます。
現存する修道院内の地下礼拝堂(cripta)は、18世紀スペッキアを治めた名家プロトノビリッシモ家(i Protonobilissimo)により、当時流行のレッチェ・バロック様式で建て直されました。礼拝堂内はレッチェストーンに細かいデコレーションをほどこした彫刻で飾られた壁や、36本もの背の高い円柱が並んだ豪華なつくりとなっています。
おなじ地下礼拝堂の一部には色彩豊かなビザンティン様式のフレスコ画も残されています。フランチェスコ修道会となる15世紀以前、かつてこの修道院が東方ビザンツ帝国の流れをくむバシリウス派修道院であった頃の名残りで、時代の変遷をみごとに感じさせてくれます。
この修道院はイタリア王国統一後の1885年から女子教育専門の寄宿学校として利用されたのち、 1945年から1980年に閉鎖されるまで児童養護施設として使われました。

⑤ 15世紀建設の村はずれの城壁
スペッキアの村はかつて、街の外周すべてを城壁で囲まれたいわゆる“中世の城郭都市”でありました。現在も街の北〜北東にかけてその外周数百メートルにわたって15世紀に築かれた城壁の一部が建築当初のままの姿で残っており、スペッキアが歩んできた長い歳月を映すその姿には、心に強く訴えかけてくるなにかがあります。 

 

⑥ カルディリャーノ村(Borgo Cardigliano)

specchia borgo cardigliano

スペッキアの村からクルマで10分ほど離れた場所に、20世紀初頭に建造された原始共産主義的な農業共同体といわれる村があります。
ほぼ同じ時代に北イタリアのクレスピ村では綿織物の工場を中心とする工員のための村が作られたように(1995年世界遺産に登録)、ここ南イタリア・プーリアの地でも農民のための農民による農場兼共同生活施設が建設されたのでした。
ここで暮らした農民たちの待遇はけっして悪いものではなく、立派な建物群や周辺施設そして当時の写真をみれば、農民にとっての理想郷を実現させたものであったろうことがうかがい知れます。
タバコ栽培を主業とした村内には、自給自足のための農地や牧場のほか、農民とその家族のための住居や学校そして教会などすべてが揃っていました。 広い中庭の真正面に位置する白壁の教会は荘厳な雰囲気で、カルディリャーノ村のシンボルとなっています。

現在はカルディリャーノ村全体が高級リゾートホテルとして営業されており、客室も広々とそれぞれ個性的なつくりをしています。その奇妙な来歴のおかげで(?)そこはかとなく独特な雰囲気を味わえるほか、静かな環境でぜいたくな時間を過ごすことができるため、イタリア国内外からの観光客にも人気の宿泊施設となっています。

 

 

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