〜 1分でわかるスペッキアの歴史 〜

9世紀ごろからこの地に小さな集落が形成されはじめました。当時のサレント地方沿岸は、はるばる北アフリカなどから海賊がやってきては略奪行為をくり返していました。平坦な地のつづくサレント半島ですが、内陸の高台にあったスペッキアの地は見晴らしがよく、海賊にたいする守りを備えるうえで都合がよかったのです。

その後ノルマン人のオートヴィル朝シチリア王国それにつづくフランス系のアンジュー朝ナポリ王国の領土となり、15世紀半ばにスペイン系のアラゴン朝ナポリ王国の大貴族ライモンデッロ・デル・バルゾ・オルシーニ(Raimondello del Balzo Orsini)がスペッキアの地を治めるようになると城壁などが整備され、この頃に現在のスペッキアの美しい村の姿が形づくられていきます。

おなじ15世紀末にオートラントなどサレント半島のアドリア海岸沿いがオスマン帝国の侵略を受けると、多くの人々が内陸に避難してきてスペッキアにも定住するようになりました。こうして中世には人口が増え、経済活動が活発であった証拠に、一大ユダヤ人コミュニティーも存在するほどでした。 ナポリ王国内の貴族の領地としていくつかの名家の手から手へと渡ったのち、19世紀初のナポレオン時代に封建制度が廃止されると、他のサレント地方の街や村と同様に、スペッキアでも封建領主による支配が終焉を迎えるのでした。

村の中心にある広場に建つ立派なお屋敷(お城)は、もともと領主の居城でしたが、現在は村役場として利用されており、城内を見学することができます(ガイド付き)。

 

 

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