ガッリーポリは古代ギリシャにまでさかのぼる長い歴史をもつ由緒ある街なだけに、街名の由来にも諸説あります。
もともと古典ギリシャ語でずばり『美しい街』を意味する”Kallipolis”が訛ったというのが、現在最も有力な説といえるでしょう(イタリア語だと “citta’ bella”ということになりますね)。
事実、ガッリーポリを含むプーリア州南部のサレント半島一帯には、ローマ帝国以前の紀元前に『マーニャ・グレチャ(Magna Grecia)』とよばれる一大ギリシャ文化圏が広がっていたため、カリメーラ(Calimera)やガラティーナ(Galatina)、ガラートネ(Galatone)など、ギリシャ語で”美しい”を意味するgal(またはkal=cal)のつく地名が現在もサレント地方には多く残っており、ガッリーポリもその一つと考えられています。
また、現トルコ共和国北西部にある街ゲリボル(英名:ガッリポーリ)は 、第一次世界大戦の激戦地として歴史に名を残していますが、この同名の街トルコのガッリーポリも古代ギリシャに起源をもち、その名はギリシャ語のkallipolis =『美しい街』に由来するといいます。

海に囲まれたロマンチックな雰囲気あふれるガッリーポリの街にぴったりの伝説ですね。

一方で、もうひとつサレント地方に伝わる別の伝承によれば、伝説上の人物で古代ギリシャのクレタ文明発祥の地=クレタ島の王であったというイドメネオ(Idomeneo)が故郷のクレタ島を追われ、長旅の末にたどり着いたのがこのサレント半島とされています。そしてこの伝説の中で、イドメネオがサレント半島の女王と結婚しこの地に築いたのが、レッチェとガッリーポリという現在もサレントを代表する2つの美しい街ということになっています。
そしてガッリーポリの名の由来については、イドメネオが愛用した楯に”雄鶏(gallo)”の姿が描かれていたという故事にちなんで”おんどりの街”= Gallipoli になったとされていますが、うーん、コレはちょっとムリヤリな感がしないでもありません(苦笑)
しかしなんと、ガッリーポリ市の市章には堂々とそのおんどりの姿が描かれているのですから…ということは、『雄鶏説』の方がひょっとすると…?!

その他にも、ローマ人渡来以前のイタリア半島の先住民エトルリア人より、さらに前からヨーロッパに分布していたケルト系の部族ガッリ・セノーニ族(Galli Senoni)が北方からやってきてこの街を征服したためガッリの名が残ったとする『ケルト人』説も。

少し話が脱線しますが、イタリアのお隣の国フランスも、かつてローマ帝国時代にはガリア(Gallia)つまり”ガッリ族(=ケルト人)の地”と呼ばれていましたが、”ガッリ族”と”雄鶏”いずれも当時の公用語ラテン語では”Gallus”と、発音が同じ同音異義語なのだそうです。
そしてこのいわば言葉遊びによって、フランスでも古くから雄鶏が国のシンボルとされてきたといいますから、雄鶏を街の紋章とするガッリーポリがケルト人に由来するという説もあながち見当違いではなさそうな感じです。
ただこの言葉遊びは後世のこじつけとみられる場合が多いようですが…
しかし、なんといってもこの説を捨てきれないのは、紀元前1世紀のローマ帝国を代表する学者にして政治家、後世のルネッサンスにも多大な影響を与えたという博学の天才、大プリニウスがすでに唱えていたといいますから、がぜん説得力がでてきますね。

はたして由来の真相やいかに??

いずれにしましても、この街が三千年以上の歴史をもち、その発祥と繁栄に古代ギリシャの人々が大きく関与していたということは、まぎれのない事実でしょう。

 

 

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