イタリアで最もミステリアスなお城

周囲半径10km以上のゆるやかな丘陵地帯にはのどかな自然や田園風景が広がっており、あたり一面見晴らしの良いひと際高い丘のうえにそびえる名城カステル・デル・モンテ。このお城がミステリアスな存在として人々を惹きつけてやまないのは、遠方からも目をひく完全なる八角形で構成されたその偉容や、パワースポット的な驚くべき立地条件もさることながら、最大のナゾであるこの城の用途が未だにわからないことや、お城の建築のあちこちに天文学的そして数学的さまざまなナゾが秘められているという点も大きな理由として挙げられるでしょう。

城の内部を見学する際にカステル・デル・モンテのミステリーを十分に楽しむためには、ガイド付きツアーに参加されることをお勧めします。残念ながら建設当時は絢爛豪華だった装飾インテリアの大部分が失われてしまった現在でもこのお城はたくさんのナゾや見所の宝庫であるにもかかわらず、自力に頼って見学しようとしてけっきょく一体どこにナゾが秘められているのかがよく分からないまま終わってしまったのでは大変もったいない話です。現地でイタリア語や英語によるガイドを頼める場合もありますが、ぜひディスカバー・サレントの日本語ガイド付きツアーをご利用ください。私たちと一緒にミステリー発見の旅に出かけましょう!

castel del monte ottagono

ミステリー①「なんのために建てられたのか?」
専門家によりますと、この城は軍事的な戦略拠点としては用をなさないばかりか、城壁に施された銃眼の隙間も矢を射るにはあまりに幅が狭すぎて実用的でなかったり、あるいは当時の築城の常識であった時計回りの螺旋階段も、この城では反時計回りとなっているため武器を左手で所持しなければならなかったであろうなど、軍事目的での実用性については大いに疑問が残るのだそうです。
もう一つ有力な説として、フェデリーコ2世が愛した鷹狩りの拠点として使用されたのではないかという説もありますが、こちらも疑問が残ります。といいますのも、厩舎をはじめ狩りに欠かすことのできない施設が多く不足しているのです。
さらに興味深いのは、フェデリーコ2世らとともに十字軍遠征に参加していたテンプル騎士団の存在です。ハリウッド映画化もされたベストセラー小説「ダヴィンチ・コード」にも登場する彼らのおもな使命は、”キリストの聖杯”を守ることにありました。そして彼らテンプル騎士団が好んで建てた多くの建築物こそが八角形だったのです。そしてキリストの聖杯そのものが八角形であったといわれており、その聖杯の保管場所としてこの城が建てられたのではないかという説を唱える研究者もいるようですが、真偽のほどはいかに…?

ミステリー②「ナンバー8のなぞ」
この城にまつわるもう1つ大きなミステリーは、数字の「8」にまつわるものです。というのも、この城は「8」だらけと言ってもいいくらいなのです。まずカステル・デル・モンテの城郭は正八角形です(これは一説に、フェデリーコ2世が第6次十字軍遠征時に実際に目にした聖地エルサレムにある岩のドームが八角形であるからとも、あるいは神聖ローマ皇帝に代々受け継がれてきた帝冠が八角形であるからとも)。さらに、城の8つの角にそれぞれ建つ8つの塔もそれぞれ正八角形。中庭も正八角形ならば、2階建ての城内の各階にもそれぞれ8部屋ずつ。
さらに城の装飾に目を移しますと、城内に残されている彫刻などの室内装飾に用いられている植物のモチーフは、そのほとんどが、葉や花が8つ一組となって描かれているのです。

ミステリー③「天文学をとり入れた城の設計」
「8」にまつわるカステル・デル・モンテの話はこれだけにとどまりません。天文学的に見てみますと、毎年4月8日と10月8日(当時10月は一年の8番目の月を意味していました)には、外壁の窓から差しこむ太陽の光が城の中庭に面した窓を通って南東の壁のある一点を照らしますが、ここにはかつてなんらかの重要なレリーフが飾られていたのだとか…。
さらに夏至・冬至・春分・秋分にはそれぞれ、特別に計算されたかたちで城内に太陽の光が差しこむ設計となっています。たとえば秋分の日の正午には、城の中庭にできる日陰がちょうど中庭の端から端までを覆い、さらにそのちょうど1ヶ月後に、その影が内壁の最上部に達するといった調子です。
また正面出入口の左右2本の柱頭に飾られた2頭の獅子像もそれぞれ、夏至と冬至に太陽が昇ってくる位置を向いています。
これだけ完全な左右対称美を具現化した城の内部には、実はあたかもその均整美に挑戦するかのような左右非対称な部分がいくつか見られます。それらいびつな装飾物やドアは城全体の作りに調和せずあまりに不自然であるため、研究者によりますと、この城の設計者たちは天文学にもとづき明らかに意図的に計算してそれらを設置し、城内を巡る指定ルートを示していたのではないかと推測されています。

ミステリー④「世界地図のなかのカステル・デル・モンテ」
お城の立地の妙についてもさまざまに論じられており、たとえばフランスはパリ近在にあるカトリックの聖地シャルトル大聖堂とミラノのドゥオーモ、そしてエジプトのクフ王の大プラミッドを結んだ一直線上にカステル・デル・モンテが位置しているという指摘があります。一見するとこじつけにも思えますが、はたして本当に単なる偶然なのでしょうか?歴史ミステリーの楽しみの真骨頂といったところかもしれません(笑)
これらの場所がいずれも歴史的にテンプル騎士団に所縁のある場所であることはたしかなようです。ピラミッドの碑文の一部もカステル・デル・モンテでみつかっています。
さらにフランスのシャルトル大聖堂とエジプトのスフィンクスを結んだラインの中間点にカステル・デル・モンテが位置しているという指摘も、歴史ミステリーへの好奇心をかきたてるには十分でしょう。
いずれにせよ、パワースポット的な力を秘めているというのもうなずけそうなお話です。
このように数学や幾何学そして天文学など当時ヨーロッパでは類をみない近代的な学問と芸術の叡智がふんだんに取り入れられているそのナゾめいた存在ゆえに、この城は錬金術的な奥義の研究をおこなう宗教的な施設あるいはより近代的な自然科学の研究をおこなう学術施設として使われていたのではないかという説も有力なものの一つに挙げられています。しかしこれは科学を愛し実証主義を信条としたフェデリーコ2世にはふさわしくないようにも思われます。

 

 

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