① オートラント大聖堂(Cattedrale di Otranto)

旧市街にあるロマネスク様式のオートラント大聖堂は1080年に建てられ、正式には『Cattedrale di Santa Maria Annunziata』といい、そのシンプルでありつつ地元特産のレッチェ石が独特の優しさを醸し出しています。そして大聖堂の内部は、外観からは想像できないほどの豪華さに目が奪われることでしょう。
11世紀後半に、ときの征服者ノルマン人により建てられたオートラントの大聖堂には、床に描かれたものとしてはヨーロッパ最大のモザイク画が現存し、今日も訪れる人々をその圧倒的な存在感で迎えています。
『生命の樹(L’Albero della Vita)』と呼ばれるこの巨大なモザイク画には、旧約聖書の世界と、12ヶ月の四季折々と人間の営みなどが詳細に描かれており、当時のヨーロッパ人の死生観を表しているといわれます。また歴史上の偉人やギリシャ神話やスカンジナビア神話さらにはペルシャ神話の場面も描かれており、国や宗教といったイデオロギーを超えて人類全体の叡智の歩みを、後世の人々に言語を介さずとも直感的に伝えられるものとして描かれたといわれています。

大聖堂の地下礼拝堂(Cripta)も、必見です。42本の石柱が1本1本すべて産地の異なる石でできており、デザインも異なっています。その1本ずつがそれぞれにヨーロッパや小アジアさらに北アフリカなど地中海世界各地の国や地域を表しており、わざわざその土地土地の石材を集めて作られたのです。
オートラントには当時ヨーロッパ最大の図書館とを併設した修道院があり、ここではヨーロッパ中の若者が集い学問に励んでいました。元々この地下礼拝堂の石柱はその修道院にあったもので、学生たちが故郷を懐かしむ時に心の支えとなるものだったそうですが、15世紀末のオスマントルコの侵略によりその修道院は破壊されてしまいました。
のちに修道院からこの42本の石柱は大聖堂に移設され、今でも1本も欠けることなく地下礼拝堂を支えています。お気に入りの柱を見つけたらぜひ手に触れてみてください。往時の学び舎に想いをはせてみてはいかがでしょうか?

大聖堂の右手奥には特別な祭壇があります。ここには、15世紀末のオスマントルコ襲来時に捕われ、最後まで改宗を拒んだために処刑され殉教した無実のオートラント市民800人のうち560人の骨がガラス一面の壁に納められており、人々が日々祈りに訪れています。残りの240人分はナポリの教会に安置されており、2013年春、カトリック教会により、800人全員が聖人に列せられました。


② オートラント城(Castello Aragonese di Otranto)

1480年のオスマントルコ軍の襲来は、平和と繁栄を享受していたオートラントにとってまさに青天の霹靂でした。街の復興に着手すると同時に、以前からあったものの街の規模のわりに小さかった砦を大幅に増強するかたちで1485年の着工から14年かけて築城されました。
重厚かつ堅牢な城壁を特徴とするアラゴン様式の城で、当時火薬技術の発達にあわせて強力化した大砲にたいする防御が築城の重要なポイントであったことがよくわかります。築城当時はきれいな正五角形をしていたともいわれますが、その後100年にわたり度かさなる増改築がおこなわれたため、現在ではかなりいびつな五角形の城壁を残しています。たとえば現在でも見ることのできる、港に突き出すかのごとく鋭角にとがった城壁の南東の角は、大砲の砲撃を正面から受けない工夫であったそうです。
18世紀には、このオートラント城をモチーフにした世界初のゴシック小説『オートラント城奇譚(The Castle of Otranto)』が、イギリス人作家ウォルポールによって書かれました。出版当時は大きな話題となり、のちの『嵐が丘』や『緋文字』そして『オペラ座の怪人』といった同ジャンルの小説に影響を与えたそうです。この城のもつ歴史や美しさが作家の創作意欲をかきたてたのかもしれません。


③ サン・ピエトロ教会(Chiesa di San Pietro)

オートラントの旧市街は丘のうえにありますが、その丘をのぼりきったあたりにサン・ピエトロ教会があります。968年に建てられたこの教会は、その建築と装飾はこの街では珍しいビザンツ様式によるもので、小さいながらも異彩を放っています。
その外観の特徴として、ギリシャ十字に立方体が組合わさった構造になっており、中央部の円く傘状に緩やかな傾斜のついたクーポラは一枚岩でフタをした形になっており、瓦の敷かれた屋根もサレント地方のほかの歴史的建造物には類の見られないものです。
内部はビザンツ様式のフレスコ画が、息をのむばかりの鮮やかな色彩で人々を迎え入れます。キリスト誕生のシーンや、最後の晩餐の席でキリストが弟子たちの足を洗ったという洗足のエピソード、さらにはキリストの洗礼や復活などの場面が所せましと描かれています。

オートラント大聖堂を建立したノルマン人や、オートラント城を築城したスペイン系のアラゴン朝ナポリ王国より前、10世紀頃にこの地を支配していたのは東ローマ帝国いわゆるビザンツ帝国でした。ギリシャや小アジア的な雰囲気が色濃いビザンツ文化は、のちのルネッサンスに多大な影響を与えたとして昨今見直され、高く評価されています。
ビザンツ文化の足跡が多く残るサレント地方のなかにおいてもこの教会は、ビザンツ建築の最高峰の資料としてたいへん貴重な存在ですが、現役の教会として今日でも地元の人が祈りに訪れています。

 

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